慈愛と慈悲という2つの愛がある
喜びのために働く社会をつくる
たぶん、これから50年とか100年くらいをかけて、「喜びのために働く」社会になっていくんだろうと思っている。
いま世界中で起きはじめた混乱は、「仕事がなくなっていく」ということへの焦り。仕事がないということ、つまり社会における位置と役割がないということは、ひとむかし前なら「死」を意味したし、いまでは「無価値」を意味するのだと、われわれ人間は思い込んでいる。
イギリスもアメリカも韓国も、根っこにあるのはこの思い込み。これから10~20年くらい、反グローバル、反移民、反ロボットのような「仕事がなくなること」への抵抗運動が続いていくのかもしれない。
こういう混乱を経て、いずれ「喜びのために働く」という社会がやってくる。
ここ1か月くらい、ドラッカーを読む傍ら、ちょっとだけ「お金の未来」とか「人口と歴史」なんていうテーマについて調べていた。
それを読んで思ったのは、
「いまの形の仕事」はなくなっても、
われわれは生きていけるし、
幸せになれるということ。
そして少なくとも先進国では、
「お金に縛られなくても生きていける」
という意識を持つ人が増えていて、
人々はそれを前提とした新しい生き方を
模索しはじめているということ。
いま起きているのは、
そんな生き方のシフトチェンジなのだと
あらためて気付かされた。
今すぐ目の前の仕事がなくなることは
たしかに死活問題だと思うのだけど、
広い目で見れば、
グローバル化やコンピューター化、
ロボット化が進めば進むほど、
私たちが生きるためのコストは下がっていく。
コストが下がれば、
「生きるために働く」という
従来の働き方にかける時間は減り、
「喜びのために働く」という選択を
増やすことができるようになる。
1%の人が99%の富を握っていることは
たしかに大きな問題だとは思うけれど、
そもそも生きるためのお金に
苦労しない人が増えれば増えるほど、
彼らが握っている99%の富に
たいした意味はなくなる。
いずれお金を握っている人より、
人を喜ばせる方法を知っている人の方が、
社会的な影響力も大きくなるだろう。
目の前だけを見れば
大混乱のように見えるけれど、
明らかに、未来はよりよい方向へと
向かっている。
新しい世界に合わせて
自らを刷新する人が増えるほど、
未来は明るくなっていく。
われわれが生きている間に、
すべてが実現する訳じゃないだろうけど、
イメージできる未来はとても明るい。
ドラッカーを学び、
コンサルという仕事を通して、
なぜ人と仕事の生産性をあげることを
やろうとしてきたのか?
なぜライフイノベーションという講座をつくり、
自分らしい生き方へのシフトチェンジを
お手伝いしようとしたのか??
すべてがひとつにつながっていたことを、
ようやく思い出した。
不思議なのだけど、
思いついたのではなく、
思い出したという言葉が
しっくり来る感覚。
なんだろう?これは…。
おもしろいな~(笑)
ドラッカー教授と意見が合わない…笑
競争
社会はすべからく競争で成り立っている。
確かに、そんな風に見えなくもない。
けれども、
意識だけは競争の世界から
抜け出してしまっても良いのかな?と
最近思うようになった。
競争には必ず勝ち負けが生まれる。
勝つことの喜びは刹那的であり、
負けることはやっぱり悔しい。
だから人は勝ちの中にある刹那の快感を
求めてしまうのだけど、
競争し続けている限り、
それは「虚しさ」とつながっている。
資本主義の世の中で、
われわれは
勝つことが生存の条件であり、
負けることは死を意味するというような
意識の中にどっぷり浸かってきた。
けれども、最新の自然科学では、
自然界には「生存競争」は
存在しないという説が
定説になりつつあるのだそうだ。
あるのは、
「生きるための熾烈な争い」
ではなく、
「生物同士が協力しあう相互共存」
らしい。
人類の歴史を見ても、
競争原理だけの民族は滅び、
協力をベースにした民族だけが
生き残っている。
いまの世の中を見ていると、
あまりにも競争原理に頼りすぎていて、
なんとなく危険な気配を感じる。
変化は宇宙の真理だから、
もちろん競争の原理そのものは
永遠になくならない。
けれども、
「競争だけがすべて」
という意識はいらない。
競争によって新たなものが創造しつつ、
協力によって人が活かしあう社会。
そのようなものを、
この世界に遺す一助になるべく、
この命を使いたいと思っている。