“もくてき”のデザイン -成果をあげる組織づくり・人づくりのヒントー

働くことを通して「豊かさ」や「幸せ」を味わう人を増やし、人のエネルギーを最大化する組織・チームをつくること。ドラッカーのマネジメントや、脳・メンタルなどの記事を中心に、成果をあげる組織・チームづくりのヒントをお届けするブログです。

身体の痛みと対話してみる

昨日はお昼過ぎからじわじわとお腹が痛くなり、それが何時間も続くので、夜までずっと横になっていました。どうやら、軽めの腸炎か何かだったようです…(^^;;

しばらく横になって、痛みもだいぶ落ち着いた頃に、ふと、以前聞いたことを思い出しました。

「痛みには、記憶がある」

思い出したら、なんとなーく興味津々になってしまい、痛みの奥にある記憶と対話する瞑想をずっとやっていました(笑)
 
 
やってみて思ったこと。それは、
「痛みや病気は、自分に気付くためのサイン」
なのではないか?という事。

痛みと対話してみると、
胃には胃の記憶が、
小腸には小腸の記憶が、
大腸には大腸の記憶が、
盲腸には盲腸の記憶が、
それぞれ眠っていました(*^^*)
 
 
たとえば、
昨日思い出したのは、
「人の目がどうも気になる」
という癖について。

これは、
小学校1年生くらいの記憶と紐づいていて、
私の盲腸あたりから出てきました。

小さいころ、父か母に言われて、
毎日2㎞のジョギングをする事になっていたのですが、
私はそれがとーっても嫌でした…(^^;;

嫌だから、
だらだら外に出て行き、
あわよくばサボる方法について、
毎日考えていました。

そんな私を、母は家の窓から不定期に見つけて、
「自分で決めた約束も守れないのか?」
と、何度も怒られました…。

いや、自分で決めたんじゃなくて、
そっちがやれって言ったんじゃん!
だいたい、約束させられたんだし…(^^;;

これが、私の本音(笑)
 
 
今ならこれも愛情だと分かるのですが、
当時の私は、「いつも監視されてる…」って
思ってしまったようなのです…(^^;

『きちんと出来て当たり前、
出来なかった怒られる。

でも、自分はぜんぜんやりたくない。
だから、サボる方法を考えるけど、
いつも監視されているような気がする。』

はい、思い込みサイクルの、
いっちょ上がり!

この思い込みちゃんが、
30年ほど私の心に同居していた様なので、
昨日をもって同居解消してきました(笑)
 
 
これは私の勝手な解釈に過ぎないので、
参考にする、しないは、
各自の判断でお願いしたいのですが、

「痛みや病気」って、
自分のネガティブな記憶と
つながっている部分があるように思うのです。

もちろん、人生には避けて通れない病もあるでしょうし、
全部がこれに該当する訳ではありません。

でも、繰り返し同じ場所が痛いとか、
いつもこの箇所が弱いとか、
そういう場合は、
感情や記憶とのつながりを探ると、
改善するケースがあるように思います。

昨夜の私の場合は、
ひとつひとつ記憶と感情を開放するごとに、
すーっと痛みが引いていきました(*^^*)
 
 
これを信じ込んで、
病気の治療などに
本気で使うのはやめた方がいいと思いますが、、、

心と体の健康法くらいな軽い気持ちで、
興味ある方は試してみると、
なんかいいと思いましたので、
体験をシェアさせていただきます~(^^♪

自意識過剰さんと、自意識過小さん

今日は天気もよかったし、なんとなく気分もよいので、たまには毒でも吐いてみます(笑)
 
ほとんど無意識なのですが、私にはなんとなく苦手なタイプの人と、手を差し伸べてあげたくなるタイプの人がいます。
 
苦手なのは「自意識過剰さん」、助けてあげたくなるのは「自意識過小さん」。そんな感じの、幼少期からのパターンがあるのです…(^^;;
 
 
自意識過剰さんは、とにかく「自分のことを分かって~」とアピールしまくります。偉ぶってみたり、わざといじけてみたり、他者批判をしてみたり。感情エネルギーが外に向いていて、あの手この手で自分の思い通りにしようとする感じです。
 
自意識過小さんは、とにかく静かで抑制的です。内心は怒っていても、あまり感情が表に出ない感じ。人によっては喜怒哀楽の感情を感じることすら抑制しているかもしれません。がんばって過剰さんたちのエネルギーを受け止めようと、必死に調整役をしていることも多いかもしれません。
 
 
「過剰さん」と「過小さん」のキャラクターは、たぶん誰にでも備わっているものだと私は理解しています。もちろん私の中にも両方の側面があります。
 
どちらも根っこにあるのは「不安」という感情で、それを手放し乗り越えることで、人間的な成長が手に入ります。
 
 
「過剰さん」が成長するためには、「不安と向き合い、手放す」というプロセスが必要なのですが、これに気付かないまま、何年も「過剰さん」のステップに居続けている人を見ていると、なぜだかよくわかりませんが、、、
 
非常にイライラします…(-_-メ)
 
まあ、性分なので仕方ないです。
人間だもの(笑)
 
 
これまで沢山の人を見てきて思うのは、「そこそこの成功した経験のある人」には、意外に「過剰さん」が多いという事。
 
「過剰さん」であるが故に、過剰な意識をキープするために努力を重ねてきて、その甲斐もあって、そこそこまでは成功を手に入れたのでしょうが、それゆえに手放すことの恐怖がますます大きくなってしまったのでしょう。
 
さぞや、苦しかろうに…(;´・ω・)
 
 
私自身、20代は「過剰さんキャラ」で生きていたので、そういう人たちの気持ちも分からんでもないのですが、、
 
「そこそこの成功」は、誰もが経験できることだからこそ、その小さな成功の殻に閉じこもっていたら、勿体ないな~と思うのです。
 
経験と努力を重ねれば、成功のサイズも多少は大きくなるのかもしれませんが、同じ意識にとどまっていれば、規模を変えて同じことを繰り返すばかり。
 
そんな人生、
想像しただけで、苦しい…(^^;;
 
 
結局のところ、
「過剰さん」も、
「過小さん」も、
どちらも窮屈な生き方なのではないかと思います。
 
私自身の内側にも、両方の側面があるけれど、私は「中庸」で生きると決めています(*^^*)
 
常に自意識を手放して、新しいものが入るようにしておく。
 
それが結局、自分を解放して生きるということであり、私にとってはベストな状態だと感じています。
 
そういう自分を解放できた状態で成果をあげることを目指す方が、よっぽど豊かな人生だと思えるので、そうしています。
 
私が提供するのも、こういう学びと成長の場であり、こういうコンサルです(*^^*)
 
 
ちなみに、、、
コンサルの場ではたまーに、
過剰さんキャラにとどまっている方を、
「ぐさっ」と刺してみる場合があります(笑)
 
決してイライラしているからではありません。
あくまでお役目として、
そしてクライアント様の成長のためです。
(言い訳がましい?笑)
 
職務の場でそういうシーンを目にした方は、
くれぐれも誤解なきよう、宜しくお願い申し上げます<(_ _)>

ちょっとだけ不思議ワールドなお話。

とてもとても長い間、
「箱の中」にいた様に思います。
 
なんの箱か?と聞かれても、
うまく言葉にできないのだけれど、、、
 
「社会」という箱のような気もするし、
「常識」というような箱の気もするし、
「人間」という箱のような気もする。
 
物心がつく前に、
たぶん自分の意志でこの箱に入り、
それからずっと、
この箱の中の世界に住んでいたように思うのです。
 
 
箱の中の世界は、
ひとつクリアすると、
次の課題がやってきて、
それをクリアすると、
また次の課題がやってくる。
 
クリアしても、しても、
また繰り返し課題がやってくるだけ。
 
いつしか私は、
この繰り返しの世界に
飽きてしまいました。
 
「なんのために生きるのか?」
 
箱の世界に疲れ、
だんだん、生きる意味が分からなくなり、
その意味を探すようになりました。
 
 
望んで箱に入ったはずなのに、
箱の中の記憶を積み重ねるうちに、
「箱の中のルール」が
すべてだと感じるようになる。
 
私だけではなく、
たぶんほとんどの人は、
こういう世界に生きていると思うのです。
 
 
いま、
世界のすべてだと思い込んでいたその箱は、
宇宙に浮かぶ、地球という名の
「酸素ボンベ」のようなものだったのだと、
思うようになりました。
 
もちろん「酸素ボンベ」とつながらないと、
人は生きていけないのだけれど、
そこが世界のすべてではない。
 
私という存在は、
箱の中にいるのではなく、
箱の外にいる。
 
そして、自ら望んで、
箱という「約束の場所」で、
人生という経験を、
ご縁あるみなさまと共有している。
 
  
一時はあれほど飽きて、
疲れて果ててしまったはずの
箱の中の世界でしたが、
ここには無限の可能性があるのだと、
いま、とても強く感じています。
 
人間には無限の可能性があり、
それを楽しむことこそが、
人生の目的なのかもしれません。
 
 
やや、不思議ワールドなお話でしたが、
最近そういうことを強く感じたので、
あらためて文字にしてみました(*^^*)

ドラッカーを学ぶということ

打ち合わせ終了。今日はドラッカーを使ったマネージャー&リーダー研修のお話でした(*^^*)

経営者、マネージャーやリーダー、そして現場で働く人。それぞれに役割があるだけなのだけど、お互いがお互いの仕事については思いのほか知らない。

仕事が違うから視点も違うだけなのに、マネジメントを学んでいないと、「あの人は頭が固いから…」みたいな人間性の話になってしまいがち…(^^;

これ、もったいないな~、と思います。


ドラッカーを学ぶと、それぞれの役割がきちんと知識として整理されるので、仕事を客観的かつ建設的に話せるようになる。

仕事の生産性はもちろんのこと、組織内のコミュニケーションもよくなる。それに、必要のないことで傷つく人も減る。

5年ほどやってきて、それを体感してきたからこそ、もっとドラッカーを使う会社が増えたら良いのに!と感じる今日この頃なのです。

採用、決まったらいいな~(*^^*)

不完全であるということ

【不完全であるということ】
さっき、ふと気づいたこと。
 
「完全なるもの」を求める感情が、
自分の心のどこかにあったのだな~、ということ。
 
そして、「不完全であること」への
怒りのような感情もあったのだな~、ということ。
 
これ、もういらない価値観なので、
本日をもって廃棄!!
   
  
考えてみると、
自然界にあるものって、
ひとつひとつ形が違います。
 
ひとつひとつ違うのだから、
見方によっては、
それを「不完全」と呼ぶこともできます。
 
でも、
『大自然』という大きな視点で見れば、
自然の循環は完璧で、美しい。
つまり、違いがあることによって、
全体として「完全」な訳です。
 
人間というのも、
自然と同じであって、
ひとつひとつが「不完全」であることが、
全体としては「完全」であり、美しいということ。
 
 
そもそも、
「完全」や「不完全」というのも、
人間が貼ったレッテルに過ぎないのです(*^^*)
 
人の不完全さを受け入れ、
不完全さをも愛するということが、
人の強みを生かすという事。
弱みからは、何も生まれない。
 
人と人とのあいだ、
つまり人間界に生きるとは、
こういう事なのだな~(笑)

ドラッカーって何ですか??

ドラッカーって何ですか??】
最近、ドラッカーが当たり前になり過ぎて、こういう基本的な説明をすっかり忘れていました…(^^;;  思い出させてくれたYさん、ありがとうございます~♪♪

今日は、ドラッカーという言葉を初めて聞く人、ドラッカーって聞いたことはあるけどよく分からん…、、って人に向けての投稿です(*^^*)
 
 
「仕事で成果をあげる人に共通する習慣」
があるって言われたら、知りたくありませんか?

「成果をあげる組織に共通する習慣」
があるって言われたら、聞いてみたいと思いませんか?

さまざまな組織を研究し、成果をあげる人や組織に
共通する思考や行動、習慣のパターンなどを
「マネジメント」という体系にまとめた人。
それがドラッカー教授です。
 
 
「マネジメント」と聞くと、人によっては
とても難しい知識のように思うかもしれませんが、
一つ一つは、とってもシンプル!

例えば、、、
『人の弱みではなく、強みを見ましょう』
とか、
『問題ではなく、機会に着目しましょう』
とか、
『人を指示や命令で動かすことはできない』
とか、
『マネージャーの仕事は5つある』
とか、
『利益は目的ではなく、存続の条件』
などなど。
  
こういうシンプルなルールの
積み重ねの先にあるのは、、、

「社会」全体がよりよく機能し、
「組織」も成果をあげ、
一人ひとりの「個人」が生き生きと働く世の中。

「マネジメント」を学ぶと、
もちろん個人としても成果があがりますし、
結果としてより良い社会づくりにも
貢献できちゃいます~(*^^*)
 
 
人と人とが組織に集うということは、
エネルギーとエネルギーが集まること。

エネルギーを調和させて
より大きな力を生み出すためには、
いくつかの法則があります。

スポーツチームなんかをイメージすると、
分かりやすいですよね~。

ドラッカーを学んで、
組織として実践することは、
エネルギー溢れるチームをつくることと
似たような感じです~(^^♪
 
 
 
これを読んで、「興味あるかも~♪」
と思ってくれた方がいらっしゃいましたら、
ぜひ一緒に学び、実践しましょう~\(^o^)/
 
 
 
余談ですが、、、ちなみに、
近いうちに予定されている講座は、
こんな感じです~。
 
 
10月4日(火)19時~21時
「ドラ・クエ研究会」@八重洲
ドラッカーとしつもん(クエスチョン)を活用した研究会です!
 https://www.facebook.com/events/543328049195795/
 
 
10月5日(水)19時~
ドラッカー初級読書会 プレ読書会」@新橋
※11月からスタートする読書会の体験読書会です! すでに満席のようですが(笑)、あと1人か2人くらいなら、なんとか入れると思います(*^^*)

「知る」と「幸せ」の関係性

【「知る」と「幸せ」の関係性】
学ぶことや知ること、知識を身につけることを否定する人は、どちらかと言うと少数派なのではないかと思います。
 
しかし、知識というものに別の角度から光を当ててみると、まったく違う景色が浮かびあがります。
 
今日はそんなお話です(^^)v
 
 
つい最近まで、私はいわゆる「自分探し」の旅をしていました。目的はもちろん、幸せになりたかったからです。
 
で、、、
「自分」のことを知り、
「心理」のことを知り、
「脳」のことを知り、
「社会」のことを知り、
「歴史」のことを知り、
「組織」のことを知り、、、、
という感じで、さまざまな事を学んできました。
 
果たしてそれで幸せに近づいたかと言うと、、、
 
どんどん遠ざかっていきました…(^^;;
 
 
考えてみると、
「この世の悲哀を憂う幼児」
って、いちども目にした事がありません(笑)
 
この世の悲哀を憂いているのは、
だいたいが大人です。
 
どうしてこの世を憂うのかと言うと、
それは「知った」からです。
 
私たちは、幸せになるために
「知りたい」
と思うのですが、
実は知れば知るほどに、
どんどん幸せから遠ざかっていくのです。
 
なにも知らずに、
ただ感じて生きている幼児の方が幸せで、
あれこれ知って、
知識と理性で生きている大人の方が
かえって幸せを感じづらいのです。
 
 
知るということは、
単なる手段に過ぎないという事です。
 
知るという事と、
幸せになるという事の間に、
あまり相関関係はありません。
 
むしろ、私たちは
「知ること」に依存し、
「知ること」の魔力に憑りつかれているがために、
かえって不幸になっているのです。
 
“〇〇反対運動”とか、
“〇〇禁止運動”などは、
知り過ぎて幸せを遠ざけてしまった
典型のように思います。
 
 
キリスト教の聖書で、ソロモン王という方の言葉に
こんなものがあるそうです。
 
『知恵が多ければ悩みが多く
 知識を増す者は憂いを増す』
 
何千年も前から、人類は同じところを
ぐるぐる回っている様です…(^^;;
 
 
仏教用語で
「知足(ちそく=足るを知る)」
という言葉があります。
 
知識を身につけて成長すること自体は
とても素晴らしい事なのですが、
「知る」という行為も過ぎれば、
かえって幸せを遠ざけるという事です。
 
まさに「足るを知る」ということが、
大切なのではないかと思います。
 
 
幸せに生きるために身につけたはずの知識に、いつの間にか人生を乗っ取られるような事のないようにしたいものです(*^^*)