“もくてき”のデザイン -成果をあげる組織づくり・人づくりのヒントー

働くことを通して「豊かさ」や「幸せ」を味わう人を増やし、人のエネルギーを最大化する組織・チームをつくること。ドラッカーのマネジメントや、脳・メンタルなどの記事を中心に、成果をあげる組織・チームづくりのヒントをお届けするブログです。

仕事をするということ。働くということ。

こんばんは!
今日もお読みいただき、ありがとうございます。

本日のテーマは「仕事をするということ。働くということ。」


いま、というか今さらながら、ドラッカーの「マネジメント」を読んでいます。数年前、「もしドラ」で話題になった本なのですが、あちらは要約版なので、今回は約1000ページある方の、分厚いバージョンと格闘中です(笑)

そこに「仕事」と「働く」ことの違いについて、記述があります。小さな違いの様に見えるのですが、実は成果をあげる上で、この違いをしっかり理解することは、非常に重要だと思います。今日はこの話をまとめたいと思います。


まずは引用から。
仕事と、働くことは別の世界に属する。仕事は人の外にある。仕事そのものの論理に従う。働くことは人の内にある。働くことそのものの力学に従う。ところが、組織のマネジメントたる者は、仕事と、働くことの双方を扱わなければならない。仕事を生産的なものとし、働く人に成果をあげさせなければならない。仕事と、働くことを統合しなければならない (マネジメント上 第15章より)


ちょっと難しいと思うのですが、
【仕事】→なにかを目的として、手段として行われる「事柄」。(名詞)
【働く】→人が、なにかを目的として行う(仕事をする)「行動」。(動詞)
となります。

片方は事柄で、もう片方は行動。だから本来、マネジメントの仕方も、成果を上げる方法も、ぜんぜん違うんですよ!というのが、ドラッカーの言っていることなんですね。

「仕事」が成果をあげるためのマネジメントは、極めて事務的であり、機械的です。日々、変化していく現実を客観的にとらえ、優先順位1番のものから意思決定していくことが、成果をあげる鉄則です。

しかし「働く」ことが成果をあげるには、これとは全く異なるマネジメントが必要です。人の意識や、人の感情という、きわめて主観的な対象を扱わなければなりません。仕事に求められている事務的・機械的なプロセスを強要すると、かえって「働く」ことのモチベーションを下げる可能性があります。成果を阻害する可能性があります。

おそらく体感的に、皆さんも感じているのではないかと思いますが、仕事至上主義の企業では、人が辞めてしまったり、成長への意欲を失ってしまいます。仮に一時的に上手く行ったとしても、いずれ成果をあげれれなくなります。

逆に、人間性至上主義の企業は、仕事を客観的に見ていないケースが多い様に思います。自分自身や、中の人だけは盛り上がるのですが、それが成果につながりません。

どちらも、「仕事」または「働く」だけに着目してしまっています。マネジメントが満たすべき機能を満たしていないのです。これでは結局、成果をにはつながりません。


ドラッカーは“マネジメント”の中で、「仕事が成果をあげるためのマネジメント」については、かなり詳細に、手取り足取り教えてくれます。ですが、「働くことのマネジメント」については、大まかな方向性を示すにとどめています。

仕事は客観視できるからこそ、プロセスとして提示できたのでしょうが、働くことは主観的なので、方向性しか示せない。まあ、当たり前と言えば、当たり前のことです。

ですが、これは逆に1つの事を示唆しています。
「働くことのマネジメントを中心に据えて解決すれば、あとは方法論がある」ということなのです。

簡単に言ってしまえば、先に「人が働きたくなる環境」を作っておいて、あとで「方法論」に則って、決めて行動するだけ。マネジメントというと難しく考えてしまいますが、実は極めてシンプルなんですね。

世の中には、次々と驚くべき成果をあげる企業があります。ひと昔前ならソニー、最近ではGoogleなどが有名ですよね。この2つの企業に共通しているのは “自由闊達で責任感のある組織風土”。これを意識的に創っている点にあります。まさに、「人が働きたくなる環境」そのものですね!

私たちは、目に見えるものや、数値で測れるもの、つまりは「仕事」に優先順位を与えてしまいがちです。ですが、本当に大切なのは「働く」という人そのものに焦点を当て、優先権を与えてあげることなのではないでしょうか?

「仕事」と「働く」を別々のものとしてマネジメントする。成果をあげるマネジメントの鉄則だと思いますので、ぜひご活用ください!