“もくてき”のデザイン -成果をあげる組織づくり・人づくりのヒントー

働くことを通して「豊かさ」や「幸せ」を味わう人を増やし、人のエネルギーを最大化する組織・チームをつくること。ドラッカーのマネジメントや、脳・メンタルなどの記事を中心に、成果をあげる組織・チームづくりのヒントをお届けするブログです。

問題だらけの3月。 ここから「問題ではなく機会に焦点を当てる」を考察する。

こんにちは!
今日もお読みいただき、ありがとうございます。

つい先日2014年を迎えたと思ったのに、あっという間に3月も終わりです。若いころ、月日の経過は年々早くなると言われていましたが、まさに驚きの早さです。

私にとっての3月は、新たな気付きを得るための試練を、沢山与えられた月だった様に思います。親と兄弟が立て続けに入院することになり、目の前の「問題」にばかり、目が行ってしまう月でした。

先週末あたりから、ようやく落ち着きを取り戻してきましたが、気を抜くと、また何か新手の問題が起きそうなので、もう暫くは気を抜かずにいようと思います(笑)

今回は、この経験から感じた「問題にばかり目が言ってしまう状態」についての考察を、まとめてみたいと思います。


はじめに、ドラッカーの言葉を引用します。
「問題ではなく、機会に焦点を合わせることが必要である。もちろん問題をほおっておくわけにはいかない。隠しておけというわけではない。しかし問題の処理では、いかにそれが重大なものであろうとも、成果がもたらされるわけではない。損害を防ぐだけである。成果は機会から生まれる」 (経営者の条件より)

コンサルの仕事の世界では、クライアントさんに何度も伝えたはずの「問題ではなく、機会に焦点をあてる」。もちろん、意味も大切さも分かっています。

これを親兄弟の入院(しかも1人は緊急入院)という状況下で、1歳になる甥っ子を面倒みながら、実践できたのか??

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結論。。。
「できませんでした…(笑)」

まあ、身内の入院によって起きた問題に、無理やりマネジメントの話をくっつけようとする時点で、そもそも無理があるのですが、「問題にしか目が行かなくなる状態」という視点の考察として、お読みください。

【起こったこと①:問題には嫌でも目が留まる】
「昨日までと何かが違う」という状況に対して、人は少なからず違和感を覚えます。「問題発見」の瞬間です。見つけたら最後、どうにか処理したい欲求が発生します。これが人間の本能の様です。

【起こったこと②:間違った妥協をし始める】
発見した問題に対しては、反射的に、しかもすぐに解決したくなります。このタイミングで、間違った妥協を生み出します。みんなが問題から来る不快感を、バランス良くシェアできそうな、間違った妥協が成立します。

【起こったこと③:無理して頑張るが、ほころび始める】
とりあえず妥協はしたものの、妥協した時点では不快感を分け合っただけなので、いずれ無理している自分に気付き始めます。無理して支えてはいますが、状況は常に変化するので、その度にストレスがつのります。普段だったら気にならない小さな変化でも、それが大きなストレスに感じられます。

【起こったこと④:ほころびが次の問題を再生産する】
無理して支えてきましたが、いずれ弱い場所から破綻して、新たな問題が発生します。残った人間だけで再びバランスを取ろうとしますが、いずれ綻びが出て、また次の問題が発生するループ状態に入ります。

【起こったこと⑤:問題のループが希望を奪っていく】
問題がループする様になると、「また何か起きるんじゃないか?」という恐怖心が生まれ始めます。徐々に希望を持てなくなり、他責にしたり、イライラする人が現れます。我が家はここに差しかかった辺りで終息に向かいましたが、この先に待っているのは、おそらく「どうしようもない…」という絶望感なのではないかと思います。


⑤のステージに差しかかると、少し鈍めと言われる私ですら、ちょっと希望を失いそうな気持ちになりました。本来やるべき仕事を後回しにしてきた上、周りからのお誘いも断り続けてきたので、 “罪悪感” も生まれ初めていました。この罪悪感が大きくなると、いずれ周りに助けを求めらなくなり、孤独な気持ちになったと思います。

我が家の場合は、最初から退院というゴールは見えていたのですが、それでもこの問題のループ状態が起き始めましたので、長年介護などに携わる方の苦労は、本当に想像を絶するものだと思います。


さて、若干無理があるのは承知の上で、これを組織マネジメント上の「問題解決」への考察として、まとめてみたいと思います。

まず、「問題への対処は、全員に妥協を要求する」という事。問題を発見すると、何かと対処したくなるのが人間の性だと思いますが、問題対処から生まれるのは、多くの場合、妥協の運命共同体(悪く言えば共犯者)なのではないでしょうか? 緊急の場合は、とりあえず対処せざるを得ない事もあるでしょうが、これを標準としてはいけません。

次に、「対処の積み重ねは、次の変化への対処余力を奪う」という事。そもそも対処自体がストレスのかかる状態を招きますので、繰り返すほど、次の変化への余力を奪っていきます。余力がなければ、その先の根本解決は望むべくもないのです。

最後に、「対処の繰り返しは、モチベーション低下を生む」という事。ますます負荷がかかる状態になると、いずれ問題発生のループに陥り、人の希望を失わせます。知識労働者が中心の現在では、かなり致命的と言えます。


今回の経験から思ったのは、「問題を見れば見るほど、問題しか起きない」という事でした。そもそも問題を見てしまうのは人間の本能というだけであって、マネジメント上で問題に焦点を当てても、やはり成果へと繋がる要素は存在しないのです。

ここから考えるに、ドラッカーが言う「機会に焦点を当てる」とは、問題を見なかった事にしろ!という事ではありません。問題の存在を現実として受け入れながらも、妥協によって逃げてはならないという、より本質的な指摘なのです。

機会に焦点を当てる事によって、組織は成果をあげ、人の成長を促すことができます。これらを通して、問題の発生源を根絶やしにすることこそ、真の問題解決へとつながるのではないでしょうか?