そもそも「問題解決」すべき「問題」なるものは、この世に存在しない。
こんばんは!
今日もお読みいただきありがとうございます。
ビジネスの世界に限らず、「問題解決」は永遠のテーマです。沢山の本も出ていますし、専門に研究される方も沢山いらっしゃいます。山ほど手法めいたものは存在しますが、いまだに世の中にある“問題”とやらは、まったく“解決”される目途が立たないように思います。
なぜでしょう?
これは私の考えなので、賛否両論あると思うのですが、
「問題なるものは、そもそも存在しない」
実は、こういう事なのではないかな?と、最近私は思っています。
一般的に、「問題」と言われるものを分類してみると、
◇コミュニケーション上の問題
◇変化の否定によって起きる問題
◇現在と未来の選択にまつわる問題
の3つの分野に集約されてくると思います。
実は、このうち「コミュニケーション」と「変化の否定」によって起きる問題は、そもそも人間の思い込みが作りあげただけの、架空の問題なのではないでしょうか? さらには、3つ目である「選択」にまつわる問題も、半分以上は人間の思い込みによって、問題の複雑度が増しているだけではないでしょうか?
ここで言う、人間の思い込みとは、いわゆる「我欲」と呼ばれるものの集合体です。優越の誤認や、自分は正しいという思い込み、万物に起こる変化を否定する心など、多岐に渡ります。
そもそも外部を変える事などできないのに、我欲によって、他人を変えようとし、世の道理を否定するから、そこに「問題」が発生しているだけなのです。
変えられないものを知り、それを受け入れてしまえば、そもそも「問題」だと思っていたことは、ほとんどが自然消滅してしまいます。
変えられないものとは、
◆他人は変えられない。もし変わるとすれば、本人が気づいた時だけ。
◆万物の変化を止めることはできない。
◆自然の摂理を変えることはできない。
◆完璧なるものは、この世に存在しない。
◆未来を知ることは出来ない。
という、ある意味、誰でも分かっている事なのです。
これらを受け入れずに否定しようと頑張ると、否定した分だけ問題が発生します。
「道理」を受け入れ、その上で対処していけば、最初からほとんどの問題は、この世に存在しないのです。
問題解決されるべきとされる問題のほとんどは、実はデマに惑わされたに過ぎない、些細なものという事なのです。最初から存在しなかった問題を、どこぞの誰かが道理の否定したいがために、でっち上げた事によって発生したに過ぎないのです。
そもそも「問題解決」すべき「問題」なるものは、この世に存在しない。
一流の経営者の方が、座禅を組んだりするのも、こういう心境に自分を整えておくためなのかもしれませんね!
今日はいささか宗教チックな内容になってしまいましたが、最後に一言だけ。
私は無宗教ですので、ご安心ください(笑)
以上です!