“もくてき”のデザイン -成果をあげる組織づくり・人づくりのヒントー

働くことを通して「豊かさ」や「幸せ」を味わう人を増やし、人のエネルギーを最大化する組織・チームをつくること。ドラッカーのマネジメントや、脳・メンタルなどの記事を中心に、成果をあげる組織・チームづくりのヒントをお届けするブログです。

「為すべきことを為す」という視点の重要性。

こんばんは。
いつもありがとうございます♪♪

今週末は、久しぶりにドラッカー漬けの週末を過ごす予定です。この日を待ちに待っていたような、永遠に来ないで欲しかったような・・・。とっても複雑な心境です(笑)

「どれだけ学んでも、まだ足りないという実感。」  知識以上に、この感覚を感じさせてもらえるのが、ドラッカー合宿の醍醐味です。しんどいけど、面白い。そうとしか表現できない時間なのです。

さて、このしんどい(笑)合宿に向けて、改めて「経営者の条件」を読み返してみました。合宿の課題本という事もあり、この本は何度も読み返している1冊です。もう忘れてしまいましたが、おそらく20回は超えていると思います。一度読んだら二度と開かない本が沢山ある中、この「経営者の条件」は、おそらく私の人生の中で、もっとも多く読み返すであろう1冊になるのではないかと思います。

何度も読んでいるが故に、たまに「一言」だけに注目して、1冊を読み通してみる事があります。この「一言」との出会いが、ある意味、この本を繰り返し読んでいる醍醐味でもあります。


今回の「一言」は、これでした。

『成果をあげることがエグゼクティブの仕事である。成果をあげるということは、物事をなすということである。企業、病院、政府機関、労働組合、軍のいずれにあろうとも、エグゼクティブは常に、なすべきことをなすことを期待される。すなわち成果をあげることを期待される』(経営者の条件)

この文章は、実は第1章の冒頭の1文です。とっても重要だからこそ、冒頭に書いてあると思われる一文です。

ですが、ごく当たり前の事しか書いていない上に、どこか日本語としておかしく、気持ちの悪い文章ではありませんか?  私は今まで、この一文にあまり注目していませんでした。

『成果をあげるということは、物事をなすということである』

私の知っている日本語の常識では、「成果をあげる」と、「物事をなす」は、イコールで結びつかないはずなのです。そもそも全然意味が違うはずなので…。

でも、ドラッカーは「成果をあげる=物事をなす」だと言っている訳です。

あまりの気持ちの悪さに、観念して「成果をあげる」という言葉を、すべて「物事を為す」と読み替えて、この本を1周読んでみました。


すると、かなり面白いのです。
本の冒頭あたりから、少しだけ例をあげてみます。

『頭のよいものが、しばしばあきれるほど成果をあげられない』 → 『頭のよいものが、しばしばあきれるほど、物事を為さない

『医者は、成果をあげることについて大体において問題がない。診察室に来る患者は、医者の知識が成果をあげるうえで必要なものをすべてもって来る』 → 『医者は、物事を為すことについて大体において問題がない。診察室に来る患者は、医者の知識が物事を為すうえで必要なものをすべてもって来る』

『組織の中に成果は存在しない。すべての成果は外にある』 → 『組織の中に為すべき物事は存在しない。すべての為すべき物事は外にある』

『仕事と成果を大幅に改善する唯一の方法が、成果をあげる能力を向上させることである』 → 『仕事と物事をなすという事を大幅に改善する唯一の方法が、為すべきき事を為す能力を向上させることである


後半、少し意味が通るように語順を入れ替えてしまいましたが、いかがでしょう? 

私たちは「成果」という言葉尻にとらわれて、仕事と成果に対して結果思考の姿勢で、臨むようになっているのです。これは「成果」に対する、私たちの誤解なのではないでしょうか?

「成果をあげる」という言葉には、当然 “結果につなげること”、“利益を生むこと” も含みますが、あくまで「為すべきこと」の一部でしかないという事なのです。


「経営者の条件」のまえがきは、こんな文章で締めくくられています。

現代社会が機能し、成果をあげ、さらには生き残れるかどうかは、組織に働くエグゼクティブが成果をあげられるかどうかにかかっている。成果をあげるものは社会にとって不可欠な存在となっている。同時に、成果をあげることは、新入社員であろうと中堅社員であろうと、本人にとって自己実現の前提になっている。』


ぜひ「成果をあげる=物事を為す」の前提で、読み直してみてください(笑)