“もくてき”のデザイン -成果をあげる組織づくり・人づくりのヒントー

働くことを通して「豊かさ」や「幸せ」を味わう人を増やし、人のエネルギーを最大化する組織・チームをつくること。ドラッカーのマネジメントや、脳・メンタルなどの記事を中心に、成果をあげる組織・チームづくりのヒントをお届けするブログです。

「成果をあげる上司」 は、部下をどのように育るか? -その5ー

こんばんは!
いつもお読みいただき、ありがとうございます♪♪

月曜日は連載中の「成果をあげる上司シリーズ」をお届けいたします。前回に引き続き、部下育成における3つの課題のうち、<①マネジメントに対する誤解>を考えてみたいと思います。
 【参考:3つの課題】①マネジメントに対する誤解
           ②組織における共通の目的
           ③感情のマネジメント

これまで『①マネジメントに対する誤解』については、「利益目的という誤解」「人のマネジメント上の誤解」をお届けしてきましたが、今日は「成果に対する誤解」について。


ひと昔ほど前、“成果主義” という言葉が流行った時代がありました。私が大学生の頃に広まった言葉と記憶しているので、15~20年ほど前の事でしょうか。

この “成果主義” が日本に採り入れられたのは某国の陰謀だった…、、、なんて都市伝説もありますが、結果として、“成果主義” と呼ばれたものは、失敗すべくして失敗に終わりました。

当時もてはやされた “成果主義” とは、まさに上に述べた「利益目的」と「人のマネジメント上の誤解」を掛け合わせたようなものであり、結果として人々は短期の成果と損得勘定に支配されてしまったのです。

この失敗に対するトラウマが一番のきっかけの様に思いますが、少なくとも日本においては「成果」という言葉に対して、いくつかの誤解がある様に思います。


<誤解1:成果をあげるのは、汚いものであるという誤解>
これは日本人に広く広がるお金に対する罪悪感とリンクしている様に思いますが、「成果をあげる」という事に対して、嫌悪感を覚える人が少なからず存在します。

江戸時代に幕府が権力の正統性を担保するために、朱子学を活用して商人を貶める民分制度を取ったことや、財政再建のための「倹約令」が奨励されたことに起因するという説もあります。

「和の精神」を基本とする日本においては、自分だけが儲かるという事を善しとしない風潮があるのも事実で、ここから生まれたお金に対する罪悪感が、成果に対する罪悪感へとつながっている可能性があります。

はっきり言ってしまえば、これは何100年も続いている都市伝説の様なものです。まさに誤解なのです。お金は単なる道具であり、お金を儲けることは手段に過ぎません。重要なのは『目的』であって、当然ながら成果をあげることに罪はありません。


<誤解2:『成果=お金儲け』という誤解>
「成果をあげる」と言うと、すぐに「お金儲け」とイコールで結んでしまう人が多く見受けられます。これも成果に対する誤解です。

ドラッカーは『あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする』と言いました。成果の3つの領域とは、
 ①直接の成果
 ②価値への取り組み
 ③人材の育成
を、指します。

私たちは社会に貢献することにより、成果を得ています。組織は道具であり、社会において何某かの機能を担っている機関に過ぎません。私たちの貢献をより大きなものとし、成果をより大きなものとするために組織という道具は存在しますが、成果そのものは組織の目的ではありません。むしろ、貢献をするための条件であり、責任であり、義務なのです。

「お金を儲けること」は組織が存続するために、人が生きていくために、必要かつ重要な条件ですが、当然のことながら目的ではありません。それどころか、組織の成果のごく一部に過ぎません。

組織が社会における役割を果たすためには、むしろもっと多くの成果を必要とします。それが「②価値への取り組み」であり、「③人材の育成」です。これら全てを満たして、はじめて成果があがったと言えるのです。



<誤解3:『成果=結果』という誤解>
これもかつての “成果主義” が生み出した誤りなのかもしれませんが、「成果をあげる」という事を「結果」だけで判断するという人も非常に多い様に思います。

さらには「数値によって測定できる結果」だけを『成果』とする傾向すら見受けられます。これらは全て誤解であると言わざるを得ません。

新しいことにチャレンジして、結果は計画を下回ったけど、新たなイノベーションのヒントを得られて、しかも社内の人財も育った…という事例は、「成果ナシ」と判断すべき事象でしょうか?

スタッフの笑顔が素晴らしく、毎日のように来店してくださるお客さまがいらっしゃるけど、残念ながらこの数年は売上が伸び悩んでいる…という状況は、「成果ナシ」と判断すべきでしょうか?

もしこれらを「成果」としないのであれば、生まれるのは「何もチャレンジしない組織」や「リスクを避け、言われた事だけを機械的にこなす人財」です。当然のことながら、これらの組織や人財は、将来にわたって成果をあげられない事でしょう。


<まとめ:何をもって成果とするか?を定義せよ>
私たちは「成果」というものを誤解し、その「誤った成果の定義」によって人をマネジメントする傾向があります。

そもそも人は、お金のために生きている訳でもなければ、生命維持のために生きている訳でもありません。私たちは幅広い成果をあげることにより、人生を豊かなものにしたいという願望を持っているのです。

ドラッカーは「われわれの成果は何か?」を考えよと言います。

さらに実践するドラッカーシリーズの佐藤等先生は、「自分たちの目の前の仕事が顧客にとっての手段だとするならば、われわれの成果は何か?」という深さで、この問いを投げかけます。

正しい成果を定義することによって、私たちははじめて真の成果を手にする事ができます。さらには、成果をあげる責任を中心に据える人財を、育成することが可能となるのです。