「成果をあげる上司」 は、部下をどのように育るか? -その4ー
こんばんは!
今日もお読みいただき、ありがとうございます♪♪
月曜日はしばらく「成果をあげる上司シリーズ」を、連載でお届けしたいと思います。今日は第4弾。前回に引き続き、部下育成における3つの課題のうち、<①マネジメントに対する誤解>を考えてみたいと思います。
【参考:3つの課題】①マネジメントに対する誤解
②組織における共通の目的
③感情のマネジメント
今日は「指示・命令によるマネジメントの限界」について。
私が生まれるはるか昔から、「近ごろの若いもんは~…」という話は笑い話の様に言われていましたが、近ごろはこれが笑い話にはならない状況になりつつあります。
と言っても、「近ごろの若者がヤバい」とか、そういう話ではありません。社会の変化にマネジメントする側の知識がついて行っていない事が最大の原因なのです。
若い人を例にあげてしまいましたが、
「指示されないと動かない」
「指示された事しかやらない」
という話は、今や日本中から聞こえてきます。もちろん、若い人だけの問題ではなく、全世代に起きている重大な問題です。
これらの原因は仕事に対する価値観の変化と、仕事の内容の変化にあります。
しかし、マネジメントする側の知識は、これらの変化した現実に追い付いていません。すでに過去のものとなった古いマネジメントという道具を使っているがために、ますます働く人のモチベーションを下げてしまうという悪循環に陥っています。
正しいマネジメントの知識を習得することが、これらの問題を解決する鍵と言えます。
ドラッカーはこの時代の変化を約60年も前に指摘していました。「知識労働者」という新しい働き方の出現によって、マネジメントの正しい知識が必要とされることを予言していたのです。
ここで指摘された時代の変化は、主に2つあります。
「生きるために働く必然性がなくなったという現実」
「肉体労働から、知識労働へと仕事の内容がシフトしたという現実」
こう言っては元も子もありませんが、私たちはいつでも仕事を変えられる時代に暮らしています。とても贅沢な話だとは思いますが、「仕事を辞めるなんてけしからん!」という価値観の問題ではありません。現実に、仕事を辞めたり、変えたりという自由を手にしています。
さらには、働きを目で確認することが出来なくなりました。肉体労働の時代であれば、体の動かし方を指示することで成果を高めることができましたが、今は知識を使って成果をあげる時代です。
知識の使い方を指示することに意味はありません。むしろ成果を妨げる可能性の方が高いくらいです。ノウハウの共有は必要でも、ノウハウを強制することに意味はありません。
これらの変化は、「お金」や「権威」を活用した指示・命令・動機付けという、古くから使われてきた “人を動機づける手段” を、無意味なものへと変えました。
この現実を踏まえた上で、私たちは組織をマネジメントしなければなりません。成果をあげなければなりません。
私たちはいかにして成果をあげる組織を作れば良いのでしょう?
答えは、「共通の使命感」と「内発的な動機付け」にあります。端的に言ってしまえば、私たちは『世の中に希望をもたらす行為』によって、成果をあげたいと願っているのです。
マネジメントに携わるものは、貢献を通して成果をあげるビジネスモデルを構築する責任を負っているのです。これまでの様に、売上や利益を目的とする誤った組織運営を脱し、貢献をベースにしなければなりません。
もちろんこれは、売上や利益に対する責任を要求されなくなるという意味ではありません。むしろ、貢献をベースにする組織においては、より高い責任を負うこととなります。
これはある意味、恐怖心との戦いでもあります。これまでは数値として目に見える確実なものへの行動責任を負えば良かったものが、目に見えない「貢献」への責任と、目に見える数値への責任の両方を負わなければならないからです。
古くから言われてきた事ですが、真に人の上に立って道を照らす者は、自らの人格を磨かなければなりません。知識によって成果をあげる時代のリーダーシップとは、まさに人格によるリーダーシップなのではないかと思います。
成果をあげる意思決定とは、「貢献によって成果をあげる勇気」そのものなのかもしれません。