自分視点の使い方で、成果が変わる
こんばんは!
今日もお読みいただきありがとうございます♪♪
この週末は、ドラッカーの名著「経営者の条件」のファシリテーター養成講座に参加してきました。
その中で、模擬読書会というものを行うのですが、これを通して「いかに自分視点で見ているか?」という事に、いつも深く気づかされ、そして反省します。
当たり前なのですが、同じ本を読んでいても、読者一人ひとりの視点が異なります。その違う視点から投げかけられた疑問や質問に、瞬時に答えるための準備をして、その場に臨む訳です。
ですが、やはり準備が甘い…(笑)
「出来ない」という事を、いつも痛感させられます。
苦しい場ではあるのですが、大人になった今、なかなか出来ない体験です。
「知らないことを知る」という事は、本当に大切ですね!
さて、今日のテーマは、この「自分視点」について。
いきなり質問です!
「この世に、事実というものは存在するのでしょうか?」
おそらく、多くの方は
「そんなの、あるに決まってるじゃん!」
と、言うのではないかと思います。
ですが、、、
「事実などというものは、存在しません」
これが “事実” なのです(笑)
例えば、私の住む横浜で、「1月は本当に暑いですね~」と言ったら、
確実に変な顔をされると思います。
なぜなら、「1月は寒い」が横浜では、事実とされるからです。
ですが、南半球のオーストラリアで「1月は暑い」と言ったなら、
おそらく周りの方は、「そうだよね~」と同意してくれるはずです。
テニスの全豪オープンがあった今年の1月ごろ、あちらは歴史的な猛暑でした。
「事実」とは、「人が認識した事象」を指すという事です。
「事実」とは、あくまで「人の解釈」に過ぎないのです。
仕事でよくある光景だと思いますが、
「上司と部下の意見が合わない」
と、いう事は、どこの会社でもあると思います。
単に、「見ている事実が違う」だけの事なのです。
手にしている情報が違うのだから、当たり前です。
これを「無能」と決めつける上司がいるとするならば、単なる傲慢です。
すべての人は等しく、「自分視点」によって生きているという、
ある意味、傲慢な性質を持っています。
「自分視点」に固執すると、
「自分にとって意味があると決めつけていること」
だけが、手に入ります。
逆に言えば、それしか手に入らないという事です。
「自分視点」に執着することは、
人間関係、情報、知識、成果、
すべての面において、範囲を狭める制約条件になるという事です。
「自分らしく意見を持つ」という事と、
「自分に固執する」という事は、まったく違います。
成果をあげるためには、
「自分視点」の問題点を知り、その使い方を知ること。
これが大切なのです。
せっかくドラッカー合宿に参加してきましたので、
今日はドラッカーの言葉を引用して終わりたいと思います。
『意思決定についての文献のほとんどが、まず事実を探せという。だが、成果をあげる者は事実からはスタートできないことを知っている。誰もが自分の意見からスタートする。しかし、意見は見検証の仮説にすぎず、したがって現実に検証されなければならない。そもそも何が事実であるかを確定するには、有意性の基準、特に評価の基準についての決定が必要である。これが成果をあげる意思決定の要であり、通常最も判断の分かれるところである(経営者の条件 第7章より)』